国際化って言葉は良いが使い方を間違えると。。。。

 卒業式のシーズンを前に、県東部の県立高校が希望する生徒1人に、元号に代えて西暦で表記した卒業証書を手渡すことを決めた。
生徒(18)と保護者(56)は今年1月に「元号は国際化の時代に合わず、国民主権の考えにもそぐわない」などとして、西暦表記を学校側に要望していた。

http://www.saga-s.co.jp/view.php?pageId=1036&blockId=329639&newsMode=article


日本はアメリカに敗戦し多くの事を、強制的に変化させられました。
最近一部で話題の、数字の3桁区切りは、日本的には4桁のほうが良いのでは?議論も
ここらへんが関係あるのでしょう。

日本人にとっては四桁ごとにテンを打った方が読みやすい。でもね、英語やフランス語などの欧米の言語の場合は3桁ごとにテンを打ったほうが読みやすいんだ。戦争に負けて、欧米を中心にしたグローバル経済圏に取り込まれた日本はそれに従うしかないんだ。

http://satoshi.blogs.com/life/2007/01/post_10.html


それでも、なぜ日本に和暦が残っているのか?多くを欧米流にしても和暦を残したか。
西暦って正確に言うとAnno Domin(主の年)にとなり、キリスト様が誕生した素晴らしい日から数えて
2006年という意味になります。
日本はキリスト教の国ではないですから、国家としてその年号を公式文章で使うのは奇異な事となります。


公的文書。。。。そう極端な例を言えば、日本の天皇が書簡を、非キリスト圏のイスラム
などに送った場合、そこに西暦で記載があれば、相手はどう受け取るでしょうか?
なぜこの書簡にはキリスト様が生まれた素晴らしい日から2006年って書いてるんだろう?
てかいつから、日本はキリスト教の国になったんだ?
そうでないなら、非キリスト圏にこんな物をなぜ送るんだ?
ってなると思われます。
これは、国際化以前に品格を疑われかねません。


このような背景を考えて、この提案をしたんでしょうか?たたし、この方達がキリスト教徒の方でしたら
西暦を使うことは、とても素晴らしいことだと思います。


と、長々と書きましたが、私も西暦の方が正直使いやすく感じてます。(げふ